ドクター・カーツ、最終診療日

昨日はイーストビレッジでビルの火災爆発、倒壊があったようだ。アパートと図書館と大学の往復の毎日で、最近ほとんど外出しないので、全く気づかなかったが、消防車が100台ほど出動して大変なことになっていたらしい。



クリニックは今日が3月最終日。最終セメスターが始まって、2ヶ月経過したわけだ。そして今日は、ドクター・カーツの最終担当日。1月末に突然3年目のレジデントだけ集められて、辞める旨を伝えられた時は心底驚いた。そもそも理由が全くが分からない。毎年のように卒業パーティーでは優秀ファカルティとして表彰されていたし、昨年末には臨床准教授から、臨床教授に昇進したばかりだったはずだ。

以前、ドクター・ターナーが上層部と喧嘩して辞める(何らかの理由で解雇の可能性大)くらいだから、何が起きても不思議ではないが、全くレジデントに対して説明がないのはどういうことだろう。

カーツ先生は、水曜日と金曜日のティーチングを担当していて、多くの患者を担当しているので、皆大急ぎでケースを仕上げるはめになってしまった。ドクター・リーが年末で辞めたときは、辞める当日(最終日)にそのことを聞かされたくらいだから、それに比べたらマシだが。アメリカのPGコースの人事やマネジメントなんて、どこもこんなものなのだろうか。

実力もない、論文も書かない、指導力もない教授が居残ることもあるという日本の大学のシステムも考えものだが、政治力学が作用して簡単に人事がすっ飛んでしまうアメリカの大学もどうかと思うことが最近は多い。日本だったら、こんなに露骨な人事を行うことはないのではないか?教授が医局内の人事で権力を振るうことはあっても(任期制の場合は別だと思うが)、大学の行政側がこうした人事権を行使して辞めさせたりすることは出来ないだろう。

学生からの人気、人望があるから、指導力があるのと、出世する、うまく世の中を渡って行く能力というのは、全く別物なのだ。今更ながら、そんな当たり前の事実を認識することになった。トップが変われば、イエスマンばかりが残り、尖った人材はどんどん辞めていく。だからといってイエスマンばかりでもつまらないが、新しく採用されたファカルティも実際は素晴しい方ばかりなので、それはそれでアメリカ社会のダイナミックな人事を見せつけられて、なんだかどうしようもなく複雑な気持ちになる。

今年はこんな感じで波乱の年明けとなったが、年始から対応に苦慮していたレセコンの記入、訂正も本日ようやく終了。レセコンの導入も、もう全くすべてレジデント任せで、説明や打ち込む時間も大して取らずにとにかくやれ、直せの一点張り。だが2年半に及ぶシステムの変更もこれでようやく落ち着きそうだ。。

今の3年目の補綴科のレジデントは補綴科の歴史の中で、史上最悪の3年間、タイミングになってしまったとファカルティの誰かが言ってたが、あながち大げさではないだろう。

そうはいっても、ドクター・カーツにギリギリまで指導を受けることが出来たし、引き継いだフルマウスのケースも無事セット出来たし、何とか乗り切れたような気もしている。そういう意味では良かった、ということにして前に進んで行こうと思っている。良い経験も良くない経験もすべて含めて留学。それら全てが、今後の人生を生きて行く上で、きっと何かの糧になる、役立つときが来るに違いない。そう信じている。