2015年1月22日木曜日

臨床留学の意味


今月からレジデンシープログラムの三年目、いよいよ最後のタームが始まった。

ニューヨークは1月に入って急激に寒さが増している。


ご覧の通り、マジソンスクエアパークの噴水もついに凍ってしまった。

日本から見学や講習会で来られる先生方に「留学って意味あるんですか?」と最近聞かれることがある。

先月のセミナーでは時間切れとなってしまい、言及できなかったこともあったので、私なりの考えについて少し述べてみたい。

といっても、本来留学の意味などというものは「ヒトそれぞれ」。

だが、それを言ってしまうと身もふたもない話になってしまうので、あえて「臨床留学の意味」について考えみた。

もちろん、留学はヒトによっては価値のあるものに場合もあるだろうし、意味のないものになる可能性だってある。

やはり留学の機会を生かすも殺すもやはり本人次第。

例えば、臨床経験30年以上のベテランの先生からすると、

「留学なんてくだらない、知っていて当たり前の内容をわざわざ海外まで行って学んできて、そんなに有難がってどうするんだ」

と思うだろう。

開業していて仕事も私生活も充実した日々を送っているドクターからすれば、開業した自身のクリニックを代診に任せて留学するなどという行為は、「狂気の沙汰」としか思えないかもしれない。

ちなみに、私の両親や兄弟達は帰国後、私が歯学部を再受験すると宣言した時、家族友人ほぼ全員に反対された。

法学部にいて一年留学してきたかと思えば、突然歯医者になりたい等と言い出したのだ。

それは反対しないほうがおかしい。

大学の友人達にも、
「お前みたいに、自分のやりたいようにやってたら、世の中成立たないんだ!」
とよくお叱りも受けた。

90年代中頃、日本はまだ大学を出たら当然就職する、私の周囲はそれも一流企業どころか皆「超」一流企業に就職していく環境だったから、そう考えるのも無理はない。

ここまで来て今更歯医者になって何なる?苦労するのが目に見えているではないか。

今思えば周囲は反対していたのではなく、不出来な私を心配してくれていたのだと思う。

だがそもそも幸せの尺度なんていうものは、ヒトそれぞれ。

そして人間には向き不向きもある。

なのに日本人は特に社会の決めた幸せの枠の中に当てはめて競争しようとする。社会の決めた尺度で自分自身の能力を評価し、人生を歩もうとする。

その枠の中では幸せなはずなのに何となく幸せという実感が沸かないまま、人生を歩んでしまう。

ただ、世間が決めた幸せの枠と自分の枠が違うと思えば留学してしまえ、飛び出してしまえ、といってるのではない。

留学するしない以前に、一つ伝えたいのは、まずは自分にとっての幸せとは何か、人生をどう生きるべきか、じっくりゆっくり考えるべきだということ。

行きたい行く必要はない、意味がある意味がないと考える前に、自分自身にベクトルを向けてみることだ。

自分の将来のビジョンは何か?
どんなキャリアを築いていきたいのか?
歯科医師としての人生を歩みたいのか?
何をしている時に楽しいと感じるのか?
生きている実感が沸くのか?

結局、留学もその自分のビジョン、自分なりの人生のゴールの通過点、目標達成の手段にしか過ぎないのである。

私は23歳で初めてアメリカに留学した時、自分に向合い自分の人生の生き方、キャリアについてじっくりと考えを深める機会を得た。

20代前半で、こうしたモラトリアムの期間を持てたことは、今となってはそれは本当に幸運なことだったと思う。

もちろん、いつもすべてがうまくいく思い通りになるということはない。

どれだけ自己分析し、未来を出来るかぎり予想して人生の選択をしたとしても、理想と現実のギャップは絶えず生じる。

全く理想通りの人生なんてあり得ない。

正直に言って、留学することで得るものもあれば、失うものも必ずある。

ヒトによってはそれは留学以上に大切なものかもしれない。

ここで悟るべきは、自分の歩いて来た道と将来進みたい道の分岐点が必ず来るということ。

必要なのは将来そこで人生の軌道修正が出来るよう、今から十分準備しておくこと。

その上で環境に恵まれてチャンスがあって、多少なりとも自分自身やっていく自信があれば思い切りやってみればいい。

これから30歳も過ぎてプロ野球選手になりたいとかミュージシャンになりたいとか言うならともかく。

歯科医師の場合、仮に正規の大学院に入れない、ポストグラディエイトプログラムに採用されなかったとしても、日本に戻れば職探しに困ることもない。

元の歯科医師としての生活に戻るだけである。何も恥じることはない。

フリーランスという意味では、我々歯科医師という職業は、どちらかというとプロ野球選手やプロサッカー選手に近い。

駐在員のような手厚いサポートを海外で受けられることはないが、そのかわり誰に憚ることなく、会社や上司から突然転勤や出向を命ぜられることもない。

医療系の場合でも特に臨床留学の場合に限った話かもしれない。

しかし、基礎系研究者や私費でのMBA留学のように就職の心配もなく、社会的にも経済的にもある程度身分が保証されている。

自分の実力次第でその存在価値を高めることが出来る。

歯科医師にとって臨床留学とは、それほどリスクを負わずに、自分の夢を追ってその可能性にチャレンジ出来る素晴らしい機会だ。

と言い切ってしまうのは言い過ぎだろうか。

私はこの留学を通じて、ある意味本当の「自由」を得た気がしている。

お金より肩書きより何より(もちろん日本では得られなかったであろう知識やスキルを得たことも確かだが)、もしかしたらそれが一番なのではないだろうか。

グローバルなスケールで、欲しい情報やネットワークが自由自在に手に入り、日本に限らず生活する場所、仕事内容、職場さえも自分で決めることが出来る。

自分の意思と希望に応じて自分自身の人生をプロデュース出来る自己決定権。


それが私の辿り着いた「臨床留学の意味」に対する答えである。

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