最初のセメスターを終えて



医療の話の前に、そのベースとなる、人種と社会の根本的な成り立ちの違いについて書き並べてみたい。

日本社会と日本人
勤勉、謙虚、保守的、忍耐強い、配慮、ミスを許さない、徹底的にこだわる、細かい、細やか、以心伝心、なあなあ、横並び、本音と建て前、競争を避ける、総中流意識社会、出る杭は打つ、上下関係、変化を好まない

アメリカ社会とアメリカ人
チャレンジ精神、起業家精神、おおらか、システマチック、契約社会、自己責任、俺一番、自己主張が強いし必要、ポジティブ思考、大げさ、テキトー、アメリカンドリーム、超格差社会、アメリカも出る杭は打つ、人間関係がフランク、改革のスピードがダイナミック、超実力社会、地獄の沙汰もカネ次第(特にNY)
そういう人や社会が作り出す、医療、教育システムや業界の雰囲気、環境、患者や歯科医師の意識の違いとは。。

日本の医療
国民皆保険、最低限度の医療の提供が可能、患者が安易に治療にかかってしまう、症状がある時にしか病院にいかない、歯医者を選べる、大学では患者を断れない、学生が患者の治療を行えない(現状は不明だが少なくてもアメリカほどではないはず)、患者は早く、安く、うまくを求める、権利意識が高い、歯学部に入学しやすく、卒業しにくい、国家試験の合格率が75%、新卒の給与が低い、競争過多、職場環境が過酷、診療時間が長い、休みが少ない、卒後研修にお金がかかる、GPとしてトータルの治療が可能、やる気次第で広く、深く全体を学べる、技工の技術、クオリティが高い、良心に基づく医療、患者第一、環境に 恵まれればいい歯科医師になれる、授業料の負担は親、歯科医師会離れ

アメリカの医療
お金ありきの医療、医療費が高額、大学では患者は担当医を選べない、逆に学生は患者を選べる、患者は何時間でも待つ、大学は教育期間であるという認識を持っている、大学側は嫌なら開業医へ行け、お金がないなら来るな来るなというスタンス、入学すれば誰もがある一定の教育を受けられる、専門医制度の整備により高度な医療の提供が可能、専門医の役割分担が明確、医療が専門医制度により分断もされているので、時間がかかる、責任の所在が不明瞭、入学には高い競争率、ただ一旦入学すると、専門医養成プログラムでは、集中的に人材と時間を投入され、充実したトレーニングが受けられる、GPで10万ドル/5日/週、専門医で20万〜30万ドルの年収が保証される。社会的地位が高い、ただし授業料はほぼ学生の自己負担、卒業時30万〜60万ドルの借金をする、極めて高い訴訟リスク

アメリカの方が優れている点の一つは今更言うまでもなく「教育システム」、トレーニングの方法論の充実にある。ただしそのシステムをそのまま日本に持ち込んでも決してうまくいかないだろう。上記のように、そのシステムを成立させている社会と人種が違うからだ。

教育の基幹となるのは、大学であるべきだから、特に一開業医、臨床家の立場からは、どうこう言う事はない。日本社会に置かれた歯科大学の現状、与えられた現場での若手の先生方の奮闘(涙?)を少しは知るだけに簡単にこうしたほうがいいとか、こうすべきだの言う気もなれない。だから大学の先生方、大変だろうが、頑張って下さいと言うほかはない。

自分に出来ること
そんな日本の環境の中であっても、一介の開業医として何が出来るのか?とりあえず今言えるのは、ここでの学びを自分なりに咀嚼して、目の前の患者さんや若いドクターに還元していくことだ。インプラントとジルコニアを使用したフルスプリントの3年経過ケースをどうだ!と見せびらかすのではなく、まずは基本に忠実でシンプルな治療を施した30年経過症例を提示出来るような臨床家を目指し、後進に知識やスキル、経験を伝えていくこと、それが自分のやりたくて、出来ることで、すべきことなんだと思う。

大学の戻るつもりはないにしても、自分に出来ることは少しずつサポートしていければいい。大学にいなくても、臨床家であり経営者であり教育者でもある開業医でればこそ出来る教育もあるだろう。実際、自分は「うまくやってきた」といえる自信はないが、色々と思考錯誤しながら、診査診断、治療の善し悪しの区別は出来るくらいの経験は積んで来たという自負はある。だから、日本で学んだこと、ここで学んでいることをほどよくミックスして伝えていけるのではないかとひそかに思っている。自分のようにそんなに苦労しなくても、もっとシンプルに歯科医師として必要な知識やスキルを向上させるやり方があるはずで、何が本質的に大切なのかは少し掴みつつある気はするが、これからの時間で自分の出来る事ややりたいこと、考えやアイデアを深めていけばいい。